北海道におけるコンブ生産のすがたと栄養塩環境の現状
周囲を海に囲まれた日本は、古くから海の恵みを食してきた漁業の盛んな国です。その中でも北海道の漁業は突出し、令和元年 (2019年)における北海道の漁業生産量および生産額は113.7万トン(全国生産の27.5%)および2,388億円(全国生産の17.7%)と、ともに全国第1位です(北海道水産業・漁村のすがた2021)。中でも北海道産コンブは全国第1位の生産量(44,711トン)であり、全国の95%以 上をシェアしています(図1)。このような高いコンブ生産は、日本海、太平洋、オホーック海 と北海道を囲む3 つの海の生産力に支えられています。栄養豊かな海で生産されたコンブは、ウニやアワビ等の植食性動物の餌や、様々な水産生物の生育場や産卵場としての機能を持ち、大規模な藻場生態系を形成しています。また、コンブのCO2吸収率は他の植物類と比べて高く、福暖化の抑制力が大きい生物です。
しかしながら北海道では、南西部日本海を 中心に磯焼けが続き、貧栄養である対馬暖流の影響を強く受けるこの海域では、栄養塩濃度の低下もその一因と考えられています。実際に、冬季の表恩硝酸態窒索(N03-N)濃度は、太平洋やオホーック海で10~20µMに対し、日本海では5µM前後と、コンブの生育に必要な最低レベルとなっています(図2)。
コンブが語る過去の栄養塩環境
では、過去の栄養塩環境はどうだったのでしょうか?「江差の5月は江戸にもない」という言葉があるように、北海道日本海では19世紀末から20世紀初頭(明治後期~大正期)にかけて現在の500~1000倍におよぶ大量の二シンが漁獲され、1897年には89万トンの最大漁獲量を記録しました。またコンブは、20世紀初頭から前半(大正期~昭和初期)にかけて、現在の200倍におよぶ4,000t強の生産量を記録しました。当時の活況は、漁獲統計資料の他、100年以上過ぎた現在でも伝わる文化や伝統、各地に残るニシン御殿や漁場の痕跡等からも想像されます。このような高い生物生 産は、過去の北海道日本海が栄養豊かであった可能性を示唆しますが、当時は栄養塩の分析技術が発展途上であり、過去の栄養塩環境を示す科学データは存在しませんでした。
この問題を解決するため、かつて北海道に分布した標本コンブの窒素安定同位体比(δ15N)から、過去134年間の栄養塩環境を推定しました。その結果、1881~1920年(明治から大正期)の日本海のコンブでは平均10.4%o(n=38)と他の年代・海域よりも有意に高い値を示しました(図3、4)。何故、明治から大正期の日本海 でのみ特異的に高い値を示したのでしょうか?標本の長期保存に伴う藻体成分の変化や脱窒、人為起源の窒素供給等、一般的なδ15Nの 上昇要因では説明できず、長年言い伝えられてきた一仮説「ニシンによる栄養塩供給」に辿り着きました。その根拠は次の通りです。
ニシンの雌には、粘着・沈性の卵を藻場に産む性質があります。ニシンの雄はこの卵を目掛けて放精します。そのため、海藻に産み付けられた大量のニシンの卵や精液は、分解された後、海藻類の栄養塩として機能することが考えられます。また、現在の500~1000倍に及ぶニシン漁獲量(1897年に過去最大の97万tを記録)のうち、90%以上は日本海側で水揚げされましたが、水揚げされたニシンはその場で加工され、大釜から生じるニシンの煮汁や残消が海に流入しました。実際にニシンの加工 残消が海に流入した場合、膨大な栄養塩添加量になることが試算されています。また、煮汁が海に流入していた頃は磯焼けがみられなかった経験則に基づき、海域に発酵魚かすを投入し、藻場再生事業に取り組んでいる自治体もあります。このようなニシン由来物質のδ15Nは高く、その分解物の栄養塩をコンブが利用すれば藻体に高いδ15Nとして記録されることが予想されます。明治から大正期にかけて、日本海のコンブで示された高いδ15Nは、大量に産卵来遊したニシン由来の栄養塩の利用で最も矛盾なく説明できました。
興味深いことに、当時漁獲されたニシンは、冬季に来遊する現在のニシンと異なり、春季に来遊しました。春季の栄養塩はコンブヘの成長促進および現存量増大に寄与することから、当時のニシンも同様に寄与した可能性があります。また、当時来遊したニシンの系群は「北海道 ーサハリン系」と呼ばれ、現在来遊する「石狩湾系」と異なります。石狩湾系は冬季に産卵来遊し、石狩湾内で一生を過ごしますが、北海道一サハリン系は、春季に産卵後、宗谷海峡を越えてオホーツク海で索餌回遊し、再び春季に日本 海沿岸に産卵来遊したと考えられています。このことは、当時のニシンが高栄養のオホーツク 海から貧栄養の日本海沿岸に産卵来遊という形で栄養輸送・供給していたことを意味します。
コンブ藻場再生へのチャレンジ
海域の栄養不足解消のため、様々な栄養強化が各地で取り組まれている中、北海道崩西 部日本海沿岸の磯焼け海域において、栄養塩添加(施肥)による藻場再生効果を検証しました。海藻類の発芽と成長に影響する秋~春季に、栄擬源としてN03-N同様に有効とされるアンモニウム態窒素(NH4-N)を添加するため、試験海域の岸壁に設置した栄養塩添加装筐において、硫酸アンモニウム(NH4)2S04を海水に溶かして窒素濃度21.000µg/Lの液肥を調整し、施肥地点まで延長したパイプから4.2t/時で24時間連続放出しました(図5)。施肥地点A では、2009年10月から翌年6月までに累計36.7tの(NH4)2S04(窒素換算で7.7t)を、施肥 地点Bでは、2010年10月から翌年6月までに累計35.8tの(NH4)2S04(窒素換算で7.5t)を投入しました。その結果、施肥地点Aと対照地点に設置した簡易養殖ロープに巻き付けたコンブの幼体は、施肥地点で顕著に大型化し、窒素添加にはコンブの成長を促進する効果があることが示唆されました(図6)。一方で、翌年の施肥 地点Bにおいて、海藻類への食害となるウニ類を排除し、群落形成への施肥の影響を検証したところ、アオサやヒトエグサ等の海藻類は繁茂しましたが、期待のコンブ群落は形成されませんでした。しかしながら、繁茂した海藻現存量は一様ではなく、施肥地点に近いほど多いことから窒素添加には一度形成された海藻類の現存量を増大する効果があることが示唆されました(図7)。磯焼けにより消失したコンブ藻 場の再生には、まだまだ越えなければならないハードルがあるようです。
気候変動下における海の異変とコンブ生産
近年注目される気候変動は、我が国の水産現場において様々な「海の異変」として顕在化しています。特に最近の報道や新聞記事等のマスメディアでは「観測史上初」という言葉が日 立ち、海の様子がおかしいことは誰でも認識できる程です。日本近海の天然コンブにおいても、主要11種が2090年代までに消滅する可能 性があるという絶望的な研究結果が発表されました。全国の藻場而積の1/4近くを占める北 海道において、海の異変を考慮した多面的機 能を持つ藻場の保全・創造は、北海道の漁業生産に大きな影響を及ぼす重要な課題です。